片思いが敗れたあとに何が悲しいかといえば、
自分のなかには花が飛んでるような思い出が蓄積されて美化されて、相手に
ありがとう!あれとかこれとか嬉しかった、ドキドキした!
と終わってからもしつこく声を大にして伝えたいくらいのものなのに、相手のなかにはほとんどなんにも、感情や想いでもあんまり残っていない
というシーソーの片方ばかり重くて動かない現実にすこしすこし目覚めて行くことだと思う。
秋口の殆ど望みがなかったのに丁寧にしてしまった失恋を未だ微妙に引きずる十一月半ば。
痛いものがある。
わたしのなかにとっておく想いでは自由なので、せめてそれだけひっそりとひとりで飲み込む…のをいま与えられた修行のように感じている。
(だいぶ色んな人にぶつくさ言っているのは棚にあげた。すみません。最後はひとりということで、ここはひとつ。)
よんでいるひとにせめて楽しいことがあればと思う。
不幸なブログにはあまりしたくないが、なんだか冷静に考えられたので記録。
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